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彼女はきっと強くなる。

【中学陸上女子 腰椎分離症になる】①腰痛のきっかけ~初診の結果

腰椎分離症は、簡単にいえば腰の疲労骨折。

成長期の中学部活生には多い怪我だそうで、ジャンプや反らす動き、ひねる動きが多い野球部やバレー部なんかには特に多いのだとか。

 

そんな腰椎分離症、中学陸上女子の娘に発覚!!の話です。

 

発覚したのは中学2年生になりたて、5月の初旬。

 

中学で陸上をはじめた娘、何がなんだか分からないままに走り抜けた一年目を終え、二年目のシーズンインは3月の記録会でした(このときはまだ3月だから一年生ですね)

 

このシーズン初戦の記録会で、娘、100mではじめての12秒台を出して自己ベストを更新します。

そして、4月末の都道府県の大会でも12秒台を出して決勝に進み、入賞。

200mではなんと表彰台にも。

 

コンスタントに100mを12秒台で走れるようになってきて、冬季練習の手応えを感じつつ、6月にある市の通信大会へ向けて練習を積もうとしていた5月、でした。

 

4月から、腰痛に悩まされてはいたんです。痛みが出たきっかけはハードルとんだ時だったそうですが、疲労も蓄積していたのかな。。。

ただ、少し練習の強度を落とすと落ち着いたのでそのまま練習を続けて4月末の都道府県大会に出て、でもその数日後にまた腰痛が出現。

そして、顧問の先生のすすめでスポーツ整形を受診することになりました。

 

そこでの診断結果が、腰椎分離症。

最初はレントゲン撮って異常なくて、念のためとMRIをしてから、告げられたのがそれでした(初期の分離症ってレントゲンには写らなくて、MRIなどでわかることが多いのだそうです)。

 

「初期の腰椎分離症。

1カ月は運動を完全ストップして安静に。

その後少しずつ無理なく運動を再開して、全治2カ月くらいかなぁ」

と。

 

え!??

 

聞いた瞬間、親子で一瞬止まりました

だって、受診したのは5月初旬。でも、6月のはじめにはもう市の通信大会がある。あと3週間と少し。そこを勝ち抜けたら都道府県の総体、通信大会。そこで全国標準記録を突破できたら全中です。

 

つまり、6月の市の大会に出なければ、全国への切符はその時点でなくなってしまうのに!

 

娘は個人種目でも全国を目指していて、それはもちろん大事なのだけど、本人が全国を目指したきっかけはリレー。そして、親がいうのもおこがましいですが、リレメンから娘が抜けるのは大きすぎる戦力ダウン。

「リレーで全国行こうね!」と約束しあったあの子たちに娘、どう説明するのか…。

っていうか、え?出られないの決定?え?

 

完全にフリーズ状態の私たち親子に、そこから医師の先生が詳しく説明してくれました。

 

腰椎分離症とはいえ初期だから、安静にしたらしっかり治ること。

三年生ならだましだまし続けるのも選択のひとつだけど二年生なら完治させたほうが将来的に良いこと。

痛み自体はおそらくすぐ消えるから、コルセットをしてリハビリメニューから始めること。などなど…。

 

ただ、ざっと説明したあとに、

「とはいえ、大会の予定とかもあるよね。どう?」

と聞いてくださって。

娘、すぐに「6月に、大会に出ます」とはっきり。先生苦笑い。

私が大会の流れをざっと説明すると(まず市の大会出なきゃ都道府県大会に行けない、つまり全国まで行けないこと、記録としては全国狙える位置まで来ていること、今のリレーチームは3年生もいるからどうしても今年走りたいことなど)、うーん、と渋い顔。

 

あくまで安静がベスト、これからの話は自己責任とはなりますが、と前置きをしたうえで、

「いま全国目指せるレベルにいるなら、6月はじめの大会は、8割の力で調整して走っても勝ち抜けるの?」

と。わからないけどたぶん、と頷く娘に、先生が提案してくれたのは以下の流れでした。

  • とりあえず最初の2週間は安静。
  • コルセットができしだい寝るとき以外常に装着
  • 最後の1週間で最低限の調整をする
  • 6月はじめの大会は勝ち抜くことのみを目指して全力の調整はしない
  • 6月末、7月中旬の総体、通信大会にあわせて調子を上げていく

 

娘は2年生で来年もあるから、いま怪我を治したほうがいいのは大前提。でも、だからといって今年を丸ごとあきらめるなんてできるわけがない。

 

先生の提案どおりコトが進められるのかは全く未知数。

そもそも8割で試合に向けて調整するなんてやったこともない娘(いつだって全力で練習して全力疾走しかしたことがない)

でもこれが最大限の譲歩なんだ、というのは親子ともに感じ取って、神妙にうなずくしかない初診でした。

 

そうしてコルセットを常に装着し、できることはごくごく限られる中で「まずは市の大会を勝ち抜くべく」治療優先で進む日々が始まりました。