take the high road

彼女はきっと強くなる。

都道府県の表彰台に乗った2年生の春。そしてはじめての怪我

2年生になって初めての大会は、4月の都道府県の大会でした。予選がなくて、持ちタイムで出場権が得られるというもの。娘はこの大会の100mと200mで標準記録突破していて、2種目+リレーに出場することになりました。リレー含めて3種目走るのはじめてかも?そんな大会の記録です。

 

都道府県の決勝にたどり着いた100m

1日目は100m。

自己ベスト出たら決勝残れるかなあ、くらいだったのですが、8位通過でギリギリ決勝進出。2年生で出られただけでもラッキーな決勝はやっぱりいい機会になったみたい。

個人で決勝に進むのって、なにげにはじめて。

中学生でも、同じエリアで速い子はやはり名前も知られていくもので。「名前知ってる」くらいの有名な選手達に「認知された!」とオタクみたいな楽しみかたをしていました笑 

娘もそんな風に知られていくのかな。

 

決勝って、名前コールされて挨拶するじゃないですか。

その姿も全然ぎこちなくて慣れてない感いっぱいで、初々しいというか微笑ましかったです。レースでは自己ベスト、でも決勝は他の選手たちやっぱり速かった!!の記憶です。

 

びっくり表彰台の200m

そして、この大会で忘れられないのが、2日目の200mの予選でした。

 

号砲と同時に飛び出して、どんどん加速する姿に「え、あいつ速くね?」と隣で見ていた夫の驚いた声。勢いをゆるめることなくコーナーを回ってきて、失速…しない、後ろとの距離は開いていくまま。

あれ?速い?速い速い!そのままの勢いでゴールを駆け抜ける娘の姿。

 

タイムが表示された瞬間、娘の中学の応援メンバーの歓声。

ざわざわっとスタンドでどよめく声。

その日、誰も出していなかった25秒台!

少ししてから「全中標準切ってます」と顧問の先生から驚きの報告を受けました。

 

娘の陸上を応援してきて一年足らず、そこまででもっとも衝撃だった走りかもしれません。

 

それほど期待せず、2種目出られるからと選択した200m。100mに加えて何に出るかを考えたとき、なるべくリレーにも影響がないようにという理由だけで選んだ200m。中1の秋に出た大会の記録は29秒、半年以上経っているから27秒くらいで走れたらいいよね~、くらいの感覚で挑んだ試合。200m、走るの、実に人生で三回目?

だったので、もう、みんなびっくり。笑

 

結局、25秒台を出せたのはこの一回だけで、続く決勝は失速して26秒前半。前日の100mやリレーの影響もあったのか、最終種目だった200決勝はもぅ、傍目にもわかるくらいヨレヨレ。。

 

それでもはじめて、都道府県の表彰台に乗りました!

終わってみれば2年生で100も200も決勝に残っていて、かなり出来のよかった大会だったのかも。

ただ課題も見えて、それはスタミナ。リレーも走った娘は疲労困憊すぎて死にそうになっていました。個人で2種目出てリレーも走るとなると、2日間の大会でMAX6本走ることもある…と。最後の決勝はもうブレブレのヨロヨロになっていたので、体力も調整面もまだまだだなぁ、というのが感想でした。

親としてはもう、じゅうぶんすぎるほど立派だなと思ってしまったのですけども。そんな、全体としていい思い出になった大会が4月の下旬のことでした。

 

さあ全国に向けて!のタイミングで発覚した怪我

ちょっとできすぎじゃないかい?というくらいの結果が出た4月の大会。この次にある6月のエリアの大会が、全国までつながる通信大会の予選です。

200mでうっかり全国標準を突破したことで本人も「全国に行く!」という気持ちが固まって、6月に向けて、5月は追い込むよー!と張り切っていた娘。

 

が、ここではじめての怪我が発覚。4月からあった腰痛が大会後に悪化したのでスポーツ整形にかかってみたところ、腰椎分離症との診断。完治まで2カ月くらい。呆然。

腰椎分離症についてはまた別で書こうかなーと思うのですが、結局、安静と調整を織り交ぜつつ、鍛錬は積まず(積めない)、現有戦力のみで全国を目指すことに…。

5月6月にしっかり上積みをして、調子を上げていきつつ全国への切符をとる、が顧問の先生と娘がイメージしていた道筋。まだ実力も経験も両面で不足している娘にとって大切な期間になるはずだったのですが、それは現実的に不可能となりました。

 

そして、はじめての怪我とともに、練習できないままに全国への道を模索する日々が始まりました。