take the high road

娘・中学女子の陸上記録。彼女はきっと強くなる。

【中学陸上女子 腰椎分離症になる】③都道府県、そして全国を目指して

市の大会を終えて、数日の休息を経てから病院へ。

月末からは都道府県の総体と通信大会が始まる。娘としては、どこまで治っているのか、どこまで練習の強度を上げていいのか確かめに行く意味合いで考えていたようです。本人的にはちゃんと許可もらってMAXで練習する気まんまん。が、人生そんな上手くはいかないものでした…。

 

診察してもらった結果は「状況はかわらず」

MRIとって診察してもらった結果、

右側は治癒傾向。

でも、左側に新たに内出血が発見されました。。

 

右側だけだった腰椎分離症が、なんと左側も怪しい、、ということに。。左側はごく軽微で、どちらも痛みは出ていないものの、MRIの評価はそんな内容でした

片方よくなって片方悪くなって結果トントンみたいな。

 

強度を落として調整した一カ月だったのに何故?

 

質問してみると、試合で走ったことも含めて強度の落とし方が足りなかったことが考えられる。つまるところ、いまの走りに体が耐えられてないということだと思う

と。

 

娘は早生まれで成長が遅く、まだまだ成長期です

身長も伸びている最中。

骨も育ち切っていないので無理は禁物。腹筋背筋体幹、しっかりインナーマッスルを鍛えて、出力に合う仕様の身体をつくることが解決策だよ、と聞いて納得…。

 

そんなわけで、全力での練習はまだお預け。

できるなら大会も控えたほうがいいくらいなんだけどと。

 

ですよね。。。

 

でもでも、今シーズンをまるごと諦めるのは娘にとってきっと難しくて、正直私にも、どこまで止めるべきなのかなんとも言えず…身体のことを考えるといましっかり安静にするのがベストなのは重々、わかってるんですけども。。。

となるとどこまでのリスクを許容するのかという話で。

 

6月末の大会と、7月中旬の大会をどうするか…。

そもそも100も200も走るべきなのか、

全国に近いほうに絞るべきなのか。

そしてそこまで、どれくらいのリスクを取って練習を許容するのか。

 

本人は、

全国へのチャンスがあるなら今走り込みたい。

痛みだってない。

スタート練習も、スタミナづくりも、やらなきゃいけないことはいっぱいある!と。

 

でも親としては、それを全部受け入れて背中を押すことはできず…

結局、娘には以下のように話しました。

  • 大会で何を選択し、何本走るかは顧問の先生を交えて相談。
  • 今年は負荷を落としてでも治癒を優先。
  • バイクや体幹、筋トレを取り入れてできることをやる。
  • 今できることだけをやって、無理な追い込みはせず大会へ臨む

 

つまりは「その結果、全国への切符を逃しても将来を優先する」と(そこまでは娘に言いませんでしたが)、親としてはブレーキになろうというのが私の結論でした。

 

大会に出ることは止めはしないけれど、状態を見ながら絞って、

そこまでの練習に関しては腰を守ること優先。

 

必然的にできることは限られるので、まだ全国への記録に届くか届かないかという段階の娘にとっては可能性を落とすことになると思うけれど。。。

 

腰椎分離症でもできるトレーニングを模索する日々

そして、再度始まった「限られたメニューをこなす日々」。それでも、腰椎分離症の発覚から一月ほどがたち、考え方やできることのバリエーションも増えてきました。

 

本数を走れないなかで取り入れたのがバイクトレーニング。

陸上に詳しい知人に教えてもらった「パワーマックス」という機種を使ったトレーニングは、個人にあわせた負荷でしっかり追い込めるというもの。

娘は200mを想定して、30秒全力で漕いでレストを3セット、というメニュー(ミドルパワー)をしていましたが、これほんとに死ねるトレーニングらしくて。

とりあえずこのパワーマックスが置いているジムを見つけて、自分にあわせてしっかり追い込めるトレーニングを見つけたのは大きいようでした。

 

あと、リハビリで教えてもらった腹筋や体幹トレ。6月末にはもう都道府県の大会があるから、できることをやりながら過ごす日々。

 

そして迎えた6月末の都道府県大会

月日が過ぎるのはなんともはやく、あっという間に全国チャレンジ、都道府県大会の日がやってきました。チャンスは6月末と7月中旬の2回です。

6月末の大会は、娘は200mで出場。全国標準突破ならずでしたが、都道府県大会では初優勝!予選で標準突破した選手が決勝を棄権したので、ちょっと棚ボタな初優勝。

戻ってきた娘、嬉しいけどうーん、な表情。私は嬉しかったですけど。チームメイトに祝福されたときはちょっと嬉しそうでした。

都道府県レベルの優勝で諸手をあげて喜べないなんて、気づけば高いレベルまで来たものだなぁと実感。100mは顧問の先生より棄権の指示が出て、納得できずアバレていました。笑

 

ラストチャンスの7月の大会

そして迎えた、7月の大会。この段にきて、スパイクを変え、練習を積んで、できることをして臨んだ大会です。

一日目の100mでは娘、全国標準を突破できず。それでも12秒6という自己ベストを更新する走りを見せました。

そして二日目の200mは猛暑も猛暑、朝から36度越えという灼熱の日。

予選ではいい動きを見せるも、全国標準突破ならず。そして決勝、ラストチャンス。

これほんと、もうダメかと思ったレースで。スタートは悪くなかったけれど、ぐんぐん加速していくトップの子についていけず、ズルズルと後退してこのまま終わるかと思った娘、最後の50mで粘りに粘って、決死の追い上げを見せてゴール。

 

200mって短距離じゃないですか。その中にも本当にいろいろな展開があるんだなと思いました。

電光掲示板に表示されたのは全国標準記録を突破したタイム。まさか本当に決めるなんて!!

 

最後まで粘りきった娘が誇らしく、ここまでの過程であきらめず引っ張ってくれた顧問の先生には感謝しかなくて、きっと私の生涯でも忘れられない日となりました。