初期の腰椎分離症。
1カ月は完全運動ストップ、全治2カ月くらい。
でも、3週間後には市の大会がある。スケジュールは待ってはくれません。
怪我ははじめて。
そんな中で、負けられない大会での調整もはじめて。
できるのか?笑
いや、でも怪我の発覚が一ヶ月ズレてたら都道府県大会も微妙だし、そう考えると早期発見で良かったのか??
なんて悶々と考えながら、診断を受けた娘と付き添う私。
とりあえず方針決定まで
いやぁー……
どうする??
なんて、初診後に曖昧に話し合う我々母子。笑
私も小中高と10年ほどずっとスポーツやってたのですが、陸上はぜんぜん分からなさすぎて。しかも怪我の経験も捻挫くらいしかなく、怪我との共存の仕方も競技復帰までの道筋も今ひとつイメージつかず。。。
そんなわけで、診断されてすぐ、リハビリ待ちの時間に報告したのは顧問の先生。
6月はじめの市の大会で出る競技にも、リレーチームにも必然的に影響がある話。娘が出場を予定していたのは、100m、200m、4×100リレー。2日間で予選、決勝でMAX6本。
ただでさえスタミナ的に不安があるうえに今回の腰椎分離症で、もちろん練習のやり方も強度も調整しないといけないし、とりあえず報告をと。
すぐに返信が返ってきて、
- すべて予選のみに絞ってMAX3本にする
- 決勝は棄権
- 都道府県へ進むことだけにフォーカスしよう
- とにかく治療優先!!
とのことでした。
顧問の先生も医師の先生と同じく「怪我をなおすこと優先、調子を合わせるのは都道府県大会で、エリアの大会は勝ち抜くための最低限のやり方で」と。なるほどそんな感じがスタンダードなのね、と方針が決まった感じでした。
最初の一週間は制限だらけ
ここからの3週間がまぁ長くて。。。。そのなかでも一番長かったのが最初の一週間。コルセットができるまでの最初の一週間は、なんせ安静。とにかく安静。
だから、焦りはあるけどできることが何もない、という、娘には辛い週だったと思います。
許可されたのはごく一部のストレッチだけ。泳ぐのダメ、ジョグもダメ、腹筋もダメ。
何もしないよりはと水中ウォーキングの許可が出て、プール行ってみるもののそれくらいじゃ物足りない。
でも放っておくと動こうとするので、リハビリのストレッチ、プール、酸素カプセルで予定を埋めました。 私もプールまでお付き合いしましたww娘には物足りないようでしたが、私は水中ウォーキング30分やるだけで夜ぐっすり。笑
二週間目はできることをとにかくやる
娘の場合、コルセットは体にあわせたサイズを注文する形だったので、手に入ったのが二週間目が始まったころ。コルセットを装着すると一応バイクやスクワットなどできることが増えました!
そして、とにかくできることを探して医師の先生に聞きまくり、コルセットをしての腹筋、3割程度の力でやるジョグはここで許可されました。あと水中での全力ももあげw
腹筋、ストレッチ、スクワット、ジョグ、バイク、もも上げなどが許可されると、まだできることがあるということがメンタルを支えてくれたようです。
並行して酸素カプセルも通っていました。
三週間目は筋肉痛に死んだ
そして三週間目は少し強度を上げて調整。
トレーニングというよりは、2週休んでいきなり本番走ると逆に怪我しかねないので、少し強度を上げて大会につなぐ、という意味合いでの調整です。
アップをしっかりめに行い、月曜は7割くらいの力で流し、火曜日に全力で2本&バトン合わせ、木曜にスタート2,3本と全力で2本ほど。
これでも結構な筋肉痛だったそうで。やっぱり日々の練習って偉大なんだなーと思いました。
そして迎えた本番
そして迎えた、市の通信大会の本番。100m以上の距離を走るのは3週間ぶり?そして200mを走るのは4月の大会ぶり。一ヶ月まともに練習できていない中での本番なんてもちろんはじめて。
結果は、100mと200mで都道府県大会への切符を獲得。
ただ、リレーは他のメンバーの怪我も重なりなんと予選落ち…。都道府県大会への道もここで断たれて、全国への夢は破れました。
終わってみれば都道府県大会への切符は個人では獲得できたのですけど、娘にとって全国を意識するきっかけになったリレーを落としたことは大きかったようです
もちろん、部全体としても。。。
個々のコンディション問題もありますが、チームとしてバトン練習が足りていないことは明白で。いつになく安全に行った結果、全体としてタイム上がらなかったなというか…
娘自身も、不甲斐なさや後悔のほうが大きな大会になった、そんな2日間でした。